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ボッチャ日本代表「火ノ玉JAPAN」が
パリ2024に向けて、再始動!

ボッチャ日本代表

火ノ玉JAPAN

東京パラリンピックで、日本代表「火ノ玉JAPAN」が、個人、ペア、団体ともにメダルを獲得したことで、国内でも人気が高まっているボッチャ。今回は、北京、ロンドン、リオ、そして東京と4度にわたってパラリンピックに出場した日本ボッチャ界のスター、廣瀬隆喜選手と、初のパラリンピック出場で団体銅メダルの獲得に貢献した中村拓海選手、そしてボッチャ日本代表を長年支えてきたアナリストの渋谷暁享さん、トレーナーの古尾谷香苗さんに、ボッチャの魅力やパラアスリートの身体づくりについて話を聞いた。

火ノ玉JAPAN
写真=奥富義昭 インタビュー・文=石川遍 2022/05/10

SNSでの応援が大きな力に

2022年1月に開催された日本ボッチャ選手権大会で、東京パラリンピック金メダリストの杉村英孝選手を破り、見事、連覇を達成した廣瀬隆喜選手。

ジャックボールと呼ばれる白い的球に、どれだけ自陣のボールを近づけられるかを競い合う緻密な頭脳戦…などという枕詞も、今回の東京パラリンピックでの火ノ玉JAPANの活躍によって、もはや余計な説明になったのではないだろうか。
「無観客での開催には寂しさを感じたものの、SNSでリアルタイムに届く応援メッセージがとても大きな力になりました。個人戦ではメダルに届かず悔しい思いをしましたが、団体戦で2大会連続のメダルを獲得できたこと、そして何より、代表チームのメンバーが全員入賞を果たせたことが本当に嬉しかったです」
混合団体BC1・2チームのエースとして、2大会連続のメダル獲得に貢献した廣瀬隆喜選手は、自身4度目となる今回のパラリンピックの感想を、このように語ってくれた。
廣瀬選手のトレードマークといえば、ジャックに寄せられた相手ボールをはじき飛ばし、一気に形勢を逆転させる力強い投球である。しかし本人曰く、本当は2〜3手先の戦術を読み、駆け引きしながらゲームを有利に進めるのが得意なのだそう。「団体戦ではそれぞれの選手に求められる役割があり、一人ひとりの投球回数も限られるので、パワーショットの印象が強く残るのかもしれません。でも自分ではずっとオールラウンダー型のプレイヤーだと思っています」と廣瀬選手は笑う。

廣瀬隆喜(ひろせ たかゆき)
1984年8月31日生まれ 千葉県出身。
西尾レントオール株式会社所属。
4度のパラリンピック出場を経験。
リオ、東京では団体戦でメダルを獲得している。
日本ボッチャ選手権大会BC2クラスで7回優勝の最多記録を持つ。
※2022年5月現在

リオで銀メダルを獲得し、ボッチャブームの火付け役となった廣瀬選手は、東京大会までの4年間、競技の普及活動にも勤しみながら、自身のさらなるレベルアップを目指し、地道なトレーニングを続けてきた。
「トレーニングは週2〜3回程度。トレーナーの古尾谷さんが用意してくれたメニューの中から、そのときの身体の状態にあったものを選んで取り組んできました。特に心がけていたのは日によって異なる筋緊張の状態を正しく把握し、スタッフにも共有することです。もともと人見知りだったせいで、最初はなかなかうまく言葉で伝えられなかったのですが、コロナ禍に導入されたリモートミーティングのおかげで少しずつコミュニケーションもうまくなり、その結果、フィジカル面メンタル面ともに大きく成長できたと感じています」

ボッチャは自分にとって生きがい

中村拓海 (なかむら たくみ)
1998年7月6日生まれ 大阪府出身。
社会福祉法人 愛徳福祉会所属。
2018年の世界選手権で団体の銀メダル獲得に貢献。
2019年の日本選手権で、9度の優勝を誇る藤井選手を破って悲願の初優勝を果たし、東京パラリンピック代表の座をつかんだ。

一方、今回が初のパラリンピック出場だった中村拓海選手。ベテラン選手が多い火ノ玉JAPANの中で、普段は若手のムードメーカー的存在として活躍する中村選手だが、東京では、本番を迎えた途端、会場の雰囲気に飲みこまれ、思わず身体がこわばってしまったそうだ。「本来は思い切りの良いプレーが自分のストロングポイント。なのにそれがまったく発揮できず悔しい思いをしました。それでもメダルを獲得できたのは、廣瀬さんはじめ経験豊富なチームメイトたちが、根気強く緊張を研ぎほぐし、普段どおりのパフォーマンスを思い出させてくれたおかげです。いつも以上に仲間の存在を心強く感じられた大会でした」
廣瀬選手と同じく混合団体BC1・2チームのメンバーとして銅メダルを獲得した中村選手だが、ボッチャをはじめた当初は、指の曲げ伸ばしができず手はずっとグーの状態で、ランプと呼ばれる勾配具(補助具)を使ってプレーしていたという。
「でもいつしか、自分の手で投球したいという気持ちが大きくなっていったんです。最初は本当にボールをただ握るだけの練習からスタートしました。やっと握れるようになったと思ったら、今度は握り込んでしまってボールが手から離れない。それで一つひとつ順番に投げる動作を身体に覚えさせていき、結局、二年くらいかけて、ようやくボールを前に飛ばせるようになりました」
それにしても、そのような状態から短期間で日本代表に上り詰めるだなんて、さぞかし向上心が強かったのだろうと本人に聞いてみると、「普段の生活では、本当に何もしないで1日ぼーっとしているのが好きなタイプ。正直、やらなくていいのならトレーニングなんてしたくない」と悪戯っぽい笑みが返ってきた。
ではなぜ、そんなやりたくもないトレーニングを続けてこられたのか。
「それは、生まれてからずっと、本当に何に対しても興味を持てなかった自分が、初めて自分からやってみたいと思ったのがボッチャだったからです。まさに自分の人生を動かしてくれたもの。少々、嫌でも、やらないわけにはいきません」と今度はまっすぐな目で中村選手が答えてくれた。

廣瀬選手との意見交換は、今や欠かせない情報源

渋谷暁享(しぶや としゆき)
株式会社スポーツセンシング所属。
2015年からスポーツアナリストとしてボッチャ協会をサポートしている。

リオ大会の前から、スポーツバイオメカニクスの専門家としてボッチャ日本代表をサポートしてきた渋谷暁享さんによれば、廣瀬選手と中村選手はともに、再現性が非常に高い選手なのだそう。
「チーム戦においては、戦術を考える選手が、『今、ここに、こんな風にボールを置いてほしい』と考えたところへ着実にボールを投げられる、味方にいると本当に心強い二人。日本代表チームが今回、これまでにない攻撃的な戦術をとれるようになったのも、廣瀬選手と中村選手の存在によるところが大きいと思います」と渋谷さんが説明してくれた。
渋谷さんは現在、廣瀬選手の車椅子の設計サポートにも携わっていて、競技専用オーダーメイド車椅子の導入により、廣瀬選手の投球の緻密さやバリエーションの豊富さはさらに進化を遂げているそうだ。
ボッチャ日本代表のトレーナーを務める古尾谷香苗さんは、廣瀬選手ほど適応力の高い選手は他にあまり見たことがないと話す。
「試合会場の床の状況や、室温などが変わるだけでもパフォーマンスに影響が出る選手が大勢いる中、廣瀬選手にはそんな様子がまったく見受けられません。試合前の公式練習の様子を見ていても、ピーキングのうまさは群を抜いていて、いつも本当に驚かされています」と古尾谷さんは話す。

古尾谷香苗(ふるおや かなえ)
株式会社スポーツセンシング所属 理学療法士。
2015年からボッチャ協会のトレーナーを務める。

適応力があるということは、つまり変化に気づく力に長けているということだ。廣瀬選手は、古尾谷さんが用意したトレーニングメニューに取り組んだ後、毎回必ず、身体のどこがどのように変化したかを細かく報告してくれるのだという。「強くなっていく選手の特徴は、常に自分の身体を知ろうと心がけ、それを私たちスタッフにも言葉でちゃんと伝えてくれる人」と古尾谷さんはいう。
パラスポーツにおけるハイパフォーマンスサポートについては、まだまだエビデンスが足りないことも珍しくなく、代表選手もそのサポートスタッフにおいても、試行錯誤しながら取り組んでいることが多い。そうした中で行われる廣瀬選手との意見交換は、代表チームのコンディショニングケアやトレーニング指導、生活介助なども手掛ける古尾谷さんにとって今や欠かせない情報源になっているそうだ。
「私たちはどう頑張っても選手と同じ身体にはなれないので、客観的な評価だけでは、理解できることが限られます。だからこそ、意見を言い合うことが私たちには不可欠で、そこがうまくいっていたからこそ、今回のような結果が残せたのだと思っています」

新しいことに挑戦するのが火ノ玉JAPANのストロングポイント

東京の話をしておいて何だか気が早いような気もするが、2024年パリパラリンピックも、実はもうすぐそこまで迫っている。
ちなみにボッチャは、パリ大会で大きなルール変更が控えているそうだ。
「競技時間、競技用具、そして試合のカテゴリーと、割と大きな変更が予定されているのですが、日本チームはかなりその対応に追われることになりそうです」と古尾谷さんが説明してくれた。
ただそんな風に、ルール改定が大きな痛手になるということは、裏を返せば、現行のルールが日本に有利と思われているからで、つまりは今まで取り組んできた強化策が間違っていなかったことの証であると言っても過言ではない。「大変であることには変わりないのですが、これまでの取り組みについては私たちも自信を持っていいのかなと思っているところです。今後は新ルールに対応しつつも、より一層、日本らしいスタイルのボッチャというものを確立し、他の国の代表チームから真似をしたいと思ってもらえるようなアイデアをどんどん出していければと思っています」と渋谷さんは話す。
そもそも新しいことへのチャレンジは火ノ玉JAPANにとってまったく珍しいことではない。例えば、物理療法機器を使ったコンディショニングをはじめた際も、脳性麻痺の選手たちに使っていいとされるエビデンスは存在するのかと、一部から反対の声があがることもあったという。しかし選手たちが海外遠征で大変な思いをしているのを目の当たりにしていた古尾谷さんたちは、前例がないことには慎重になりつつも、選手の声に耳を傾けながら正しい使い方を探っていくというやり方で、導入に踏み切った。

「おかげでコンディショニングケアにかかる時間はものすごく短縮され、結果として、選手のメンタルヘルスの向上にも役立ちました。今は、ボッチャ以外のパラスポーツの競技にも導入が進むよう、エビデンスを積み重ねていっているところです」と渋谷さんは話す。
北京やロンドンの頃は、まだボッチャの知名度はそれほど高くなく、トップ選手である廣瀬選手でも、練習場探しに苦労することが少なくなかったという。そんな廣瀬選手は、2021年1月、自宅近くのショッピングモール内に、ボッチャのフルコートが整備された専用練習場を開設し、日々、練習に励んでいる。
老若男女、障害の有無に関係なく誰もが一緒にプレーできるボッチャは今、大学や企業でもサークルができるなど、障害のない人たちからも人気のスポーツになりつつある。「いずれはバドミントンやバレーボールのように誰もが気軽にコートを借りて楽しめるくらいには、ボッチャの地位を向上させるのが目標です」と廣瀬選手は話す。

ボッチャ日本代表

火ノ玉JAPAN

(ひのたまじゃぱん)

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