Advance Sports & Rehabilitationアスリートの明日へ踏み出すチカラと、
それを支えるチカラ。
自分と同じ人間なんてどこにもいない。
だから自分が正しいと思ったことだけをやる。

陸上競技 短距離選手/日本生命 × アスレティックトレーナー

桐生祥秀 × 後藤勤

2016年リオ五輪男子400mリレーの銀メダリストで、2020年東京五輪では、リレーでのメダル獲得とともに、男子100mでのファイナル進出も期待されている桐生祥秀選手。そんな桐生選手が現在、コーチの土江寛裕氏、小島茂之氏とともに全幅の信頼を置いているのが、”チーム桐生”の専属トレーナーを務める後藤勤氏だ。0.01秒を争う舞台で勝利を手にするために、彼らはどのようなことを考えながら身体づくりに取り組んでいるのか。日本が誇るスプリンター桐生祥秀の強さの秘密に迫る。

桐生祥秀 × 後藤勤
写真=大野勲男・奥富義昭 インタビュー・文=石川遍 2020/12/07

自分ではない誰かのやり方を真似しても意味がない。

「もともと、他の人と比べるのはあまり好きではないんです」
そう話す桐生選手。高校生の頃は、ウサイン・ボルトのレース映像を見たり、マイケル・ロジャースのスタートを真似するようなこともあったそうだが、大学に入って以降、スプリンターとして誰かを参考にするということはまったくなくなったという。
「身長や体重が違うし、もし似ていたとしても所詮は他人。自分の身体とはやっぱり異なるので、どんなに優れた選手だろうとトレーニングのやり方は真似をしても意味がないと思うようになりました。一番速く走れるんだったらどんなトレーニングだって、それが自分にとっての正解。今はそのように考えています」
そんな桐生選手がこれまでずっと変わらず大事にしてきた練習が、走り込みだ。今回、訪問した際の公開練習でも、高校時代から続けているという坂道ダッシュを何本も繰り返していた。

「根性練習と言われたりもしますが、やっぱり走り込みは大事。走り込みができなくなったら自分は引退を考えると思います。最近、中学生や高校生のアスリートで、トップ選手が取り組んでいるスピード練習の動画などを見て、それだけを真似している子たちがいるようですが、早いうちからスパイクがどうだとか接地がどうだと話しているのを聞いていると、ちょっと考えすぎだし、そんな風に『スピードだけを求めても結局身体が壊れてしまうよ』と言いたくなります。それにトップ選手たちも、しんどくて気持ち悪くなるような練習はわざわざ公開しないですから。いわゆる“カッコいい練習”に惑わされず、まずはもっと走り込みをした方がいいと思いますね」

自分で確認するまでは、
決して鵜呑みにしない。

スプリンターの中には、本番前に行うルーティンを、それこそ「分単位」で決めているような選手もいるが、桐生選手の場合は、そうしたルーティンにもほとんど興味がないそうだ。
「もともとそんなに神経質なタイプではないし、海外の大会に出場する時などは、移動中のロストバゲージというリスクもある。そうすると逆にルーティンを決めておく方が不安材料になると思っています。ほかに栄養とか睡眠についても自分は結構、無頓着な方で…。風呂は大好きなので、入浴剤の香りにはこだわりがあるのですが」と桐生選手は笑う。
ただし、試合前のスイッチの入り方に関しては、後藤トレーナーが「長年、日本代表のトレーナーをしてきた自分から見ても、彼はトップクラス」と言うように、一瞬でオンとオフを切り替えることができるそうだ。
「いわゆるゾーンに入る状態だと思うのですが、『ギュンっ』と一気にあがって研ぎ澄まされた感じになるんです。これまでにトップアスリートたちをたくさん見てきましたが、桐生の集中力は群を抜いてすごいと思いました。ただ、我々サポートする側からすると、この規模の大会でスイッチが入るの? というときもあれば、この大会で入らないの? と思うときもある。もう少しばらつきがなくなればよいと考え、昨年からは、狙った試合でスイッチが入るようなメンタルトレーニングを取り入れるようになりました」と後藤トレーナーが説明する。

当然のことながら、桐生選手は科学的なトレーニングも嫌っているわけではない。むしろ、自分で文献などを読んでいいと思ったものや、コーチが勧めてくれるものは好き嫌いで判断せず、少なくとも一度は試してみるそうだ。ただ、例えコーチやトレーナーの勧めであっても、自分で確認するまでは決して鵜呑みにすることはないのだという。
「信頼できると言われているデータも、いつか時間が経てば変わるものがたくさんあります。食べ物でも、それまで良いとされていたものが実は効果がなかったという話なんていくらでもある。そういうことに振り回されるのは嫌なんです。だから今は、自分が正しいと思ったことだけをやるようにしています」と桐生選手は話す。

後藤トレーナーによると、例えば、コーチやトレーナーが、必要だと思うトレーニングやコンディショニングのメニューを10提案したとすると、桐生選手は、そのうちの6つくらいを自分に合った方法として取り入れるというのが、チーム桐生の日常なのだという。
「本人も言っているように、桐生の場合は、『どんなトレーニングがよいか』ではなく、桐生祥秀に合うかどうかがすべて。桐生祥秀を理解していないと桐生祥秀のサポート、コーチングは絶対できません」
実際、今のような信頼関係が築き上げられるまでには、チーム桐生のコーディネーターである土江コーチとともに何度も試行錯誤を繰り返し、相当の時間を要したと後藤トレーナーは振り返る。

リオでの敗北を経て、チームは大きく飛躍した。

「例えば、普通の学生アスリートは、コーチに命じられれば、少々、納得がいかない練習であっても、ある程度はだまって従います。ところが桐生の場合、自分に合わないと思ったらすぐにそれが態度に出るし、『やりたくない』と意思表示もする。最初はそれでかなりぶつかりあいました。ただ、そのときも実はすごいなと思ったのですが、チーム結成当初に我々が、いろいろとトレーニングメニューやコンディショニングについてアドバイスをした際、彼は『今、引き出しを全部あけちゃったら、この先、タイムがあがらなくなったときにやることがなくなる』と言ったんです。先を見据えた発言で、正直、驚きました。結局のところ、そうやって『気に入らないことは気に入らない』とはっきり言う彼の性格のおかげで、我々は彼の考えや性質を深く知ることができ、そこに土江先生のコーディネート力、小島コーチが加わることで、チーム桐生はチームとしてまとまっていったのだと思っています」

そしてその後、チーム桐生はリオでの敗北を経て、さらなる飛躍を遂げることになる。
「リオでは、リレーで銀メダルを獲得したものの、個人ではまったく納得のいく結果を残せませんでした。桐生本人も『嬉しさが8、悔しさが2』と表現していましたが、私たちにとってもあれは完全な敗北でした」
後藤トレーナーによると、桐生選手は、リオの100m予選で負けたあの日から、トレーニングのやり方をすべて変えたのだという。
「一番の変更はウェイトトレーニングの解禁でした。もちろんそれまでも、土江先生は大事だよと伝えてきたのですが、桐生がまったくやろうとしなかったんです。というのも大学一年の冬に肉離れ明けでウェイトトレーニングをし、その後のテキサスリレーでは追い風参考ながら9秒87の記録を出したんですが、すぐにまた肉離れをしてしまって…。本人としては、『ウェイトトレーニングをしたから筋肉が固くなってしまった』という印象があったのでしょう。ところがリオの予選で負けた日の夜、今でもよく覚えているのですが、私が身体のケアをしていると、桐生がこう言ったんです。『やっぱり足りないです。スタートラインに立って、僕は細いと思いました』と。世界のトップたちと並んだときに自分の身体を小さいと感じ、そしてレースに負けて本当に悔しかったのでしょう。あの日、桐生は大事にとっておいた引き出しを一つ開けたんだと思います」

ケガや病気で長期離脱しないことが
アスリートにとっては一番大事。

翌年の2017年シーズン、桐生選手は100mで日本人初の9秒台となる9秒98を記録することになった。
2019年シーズンには、200mでも6年ぶりに自己ベストを更新した。
「怪我をしないで、一年間、予定通りにトレーニングを積みあげてこれたことが結果に繋がったのだと思います」と桐生選手は話す。
東京五輪への思いも聞いてみた。
「そこでの結果が、一人のスプリンターとしてだけではなく、自分のこの先の人生に大きく関わってくると考えているせいか、やっぱり他の大会とはまったく違うものを感じています。ただ自分としては、タイムよりも順位を意識して戦いたい。スタートラインで横に並んでいる人たちよりも少しでも先にゴールできればいい。それだけです」
インタビュー中、たびたび「自分はあまり何も気にしない方だから」と口にしていた桐生選手だが、それでも最近は、練習の疲れを次の日に残さないということを、以前に比べ、意識するようになってきているそうだ。

後藤トレーナーも、「ケガや病気で長期離脱しないことが彼のようなスプリンターにとっては一番大事。積み上げてきたものを失わせたくありません。今はとにかくそのために何をしたらいいかだけを考えています」と続ける。
例えば、肉離れの半分は防ぎようのない、いうなれば事故のようなもの。どれだけケアをしていてもやるときはやってしまうそうだ。では残り半分は何かというと、頑張れば防げるケガなのだという。
「その本来は防げる部分の可能性を限りなくゼロに近づけるのが自分たちアスレティックトレーナーの仕事だと思っています。正直言ってスプリンターのピークは短いです。桐生もそろそろ慢性的なケガが出てもおかしくない年齢になってきました。ただ彼は、少し気まぐれなところもあって、それこそケガをしたときのケアでも自分が必要ないと思ったらやりません。最初は驚きましたが、今はそれが桐生祥秀なのだと理解しているので、自分としてはできるだけ環境を整えられるよう努めています。その一環として、昨年から超音波治療器とハイボルテージ電流治療器を桐生の部屋に持ち込んだのですが、これが大正解でした。今は毎日、セルフケアができているようでとても安心しています」と後藤トレーナーがいうと、桐生選手も「テレビを見ながら使えるのですごく便利。あと自分は刺激がない治療器があまり好きじゃないけど、これは刺激が奥までくるのが気持ちいい。今は、お尻とかハムに貼っていますが、強さを自分で決められるのも使いやすくて、とても気に入っています」と、その使い心地を語ってくれた。
今はまだ、栄養にも睡眠にもあまりこだわりをもっていないと話しくれた桐生選手。きっと他にもたくさんの引き出しを残しているのだろう。いつまでも伸びしろがあると感じさせてくれる、そんな桐生選手の東京五輪での活躍が楽しみでしかたない。

陸上競技 短距離選手/日本生命 × アスレティックトレーナー

桐生祥秀 × 後藤勤

(きりゅうよしひで × ごとうつとむ)

(桐生祥秀選手)1995年12月15日生まれ。滋賀県彦根市出身。身長175cm
中学校で陸上競技を始め、全国大会で活躍。高校3年時には、当時のジュニア世界記録に並ぶ、10秒01をマーク。
東洋大学入学後は各大会で活躍、リオデジャネイロ2016オリンピックに出場し、陸上競技 男子4×100mリレーでは決勝でアジア記録を更新し銀メダルを獲得。
2017年には世界陸上4×100mリレーで銅メダルを獲得。
9月の日本学生選手権100m決勝にて、日本選手初の9秒台となる9秒98の日本新記録を樹立した。

(後藤勤トレーナー)1974年5月23日生まれ。愛知県出身
GOTOHARI治療院 代表/はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師/日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー/日本オリンピック委員会強化スタッフトレーナー(陸上競技)
2002年より陸上競技の日本代表チームに帯同。ロンドンオリンピックでは陸上競技選手団のチーフトレーナーを務める。2014年よりチーム桐生の専属トレーナーとなり、リオオリンピックリレー銀メダル、日本人初の9秒台など数々の偉業をサポート。
※2020年4月現在

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