パラ走り幅跳びの女王が
4度目の挑戦にかける思い。
パラ陸上競技選手
中西麻耶
走り幅跳び(T64クラス=下腿義足使用)のアジア記録保持者(5m51㎝)で、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと、これまで3度のパラリンピックを経験してきた中西摩耶選手。現在、4度目のパラリンピック出場に向けて、そして、T64クラスでは前人未到の「6m」という記録を目指して、トレーニングに励んでいる中西選手に、年齢を重ねても進化し続ける、その強さの秘訣や、現在、トレーニングの拠点としている故郷、大分への思いなどを聞いた。
3大会連続パラリンピック出場、31歳でアジア記録を樹立。
これまでのパラリンピックで、最も印象に残っている大会は? と聞くと、「リオですね」と、すぐに答えが返ってきた。
「北京は陸上をはじめてまだ1年半ほどしか経っていなかったので、準備もままならないうちにあっという間に終わってしまった印象があります。一方、ロンドンは、海外に拠点を置いて頑張ろうとしていたのですが、それが一部の人たちから、障害者らしくない目立ちすぎる行為だと受け取られてしまい、たくさん批判もされて、あまり良い思い出が残っていません。それに比べるとリオのときは、はじめて大分に拠点を置き、地元の人たちにも応援してもらいながら納得いくまで準備をして大会に臨むことができました。だから充実感が一番あったのだと思います」
そんな風にこれまでのパラリンピックを振り返ってくれた中西選手だが、驚かされるのは、年齢を重ねてもなお記録を更新し、世界を舞台に活躍し続ける姿だ。
陸上を始めてわずか1年半で出場した2008年の北京パラリンピックでいきなりファイナリストになったときも注目を浴びた彼女だったが、5m51㎝というアジア記録を樹立したのは31歳の年。そして世界大会で初めてメダルを手にしたのはさらにその翌年、世界パラ陸上競技選手権大会ロンドン2017で、32歳になってからのことだった。そして現在、34歳になった彼女は、2020年の東京パラリンピックで、まだ誰も到達していない6mのジャンプを跳ぶことを目標に、故郷大分で、日々、トレーニングに励んでいる。
川本達也トレーナー(写真左)
Reed Green Beauty 代表/理学療法士/PHIピラティスインストラクター
長く活躍し続ける秘訣は、怪我をしにくい身体づくり。
安部達輝コーチ(写真左)
「中西選手がすごいのは修正能力の高さ。良いと思ったアドバイスはすぐに取り入れ、あっという間に自分のものにするところだと思います」
そう話すのは、チーム中西の一人、安部達輝コーチだ。踏切の角度や、最後の親指の押し方を少しだけ変えてみる…というと、何やら簡単そうだが、安部コーチによると、普通はやれと言われてすぐにできるものではないらしい。
「確かにトップアスリートの中には、一度、成功したやり方を変えるのが怖いという人もいます。でも私は子どもの頃から、興味のあるものは一度試してみて、駄目だったらやめればいいというタイプだったので、自分が次のステージに行けるのであれば、どんなことだって変えることは気にならない。確かにコーチが言うようにそこに抵抗がないのは、アスリートとして強みなのかもしれません」と本人も同意する。
そんな中西選手に、トップアスリートとしてこれほどまで長く活躍し続けられている理由を聞いてみた。
「特に気をつけているのは怪我と、その原因となる身体の偏りや歪み…、簡単にいえば身体のバランスです。怪我の予防については、アメリカでトレーニングしていたときに向こうの選手たちに教えてもらって使い始めた『KT TAPE』をもう10年近く使っています。テンションの調整でいろんな用途に使えて、身体の動きにもよく馴染んでくれるのがポイント。それと、このカラフルさ。デザイン性と機能性が両立しているのが気に入っています。あと、バランスについては日頃から、身体の細かい部分にまで意識を傾けるということを大事にしています。実は義足って楽なんですよ。ずっと壁にもたれている感じといえばわかりやすいかな。でも、楽をするというのはその分、他のどこかに負担をかけることでもあるのでアスリートとしては絶対に避けたい。これまでも歩く時のバランスには気をつけていたのですが、もっとできることがあるはずだと思って、最近はピラティスを取り入れ、義足で片足立ちができるまでになりました。こういうことの積み重ねが怪我をしにくい身体をつくっているのだと思います」
もちろん気をつけているのはバランスだけではない。やればやるだけ結果が得られた若い頃とは違い、疲れすぎないように練習をセーブしたり、リカバリーのために割く時間も段々と長くなってきているという。
「自分の身体の動きにはもともと敏感な方なので、少しでもおかしいと思ったらトレーナーにすぐ相談するようにしています。歪みが見つかればすぐに直してもらえるし、何もなければそれは疲労が溜まっている証拠。休息もしっかりとっています」と中西選手。
トレーナーの川本達也氏によると、今は、練習後に必ず超音波治療器によるケアも行っているという。
「やはりトップアスリートですから、第一線で勝ち続けるためには、『無理は駄目』だと分かっていても追い込まなければならないときがあります。そうすると、疲労が抜けきれない状態が続き、本当はそんな時こそリカバリーの時間が必要なのですがそれも確保しづらくなります。だからトレーナーとしては超音波治療器には本当に助けられているんです。特に、浅部モードと深部モードがあって簡単に切り替えながら使えるので表層も深部も効果的にケアすることができ、とても重宝しています」と川本氏は話す。
限界を決めるのは自分。
決して、年齢のせいにはしない。
ただここまで、「年齢を重ねても活躍し続ける凄さ」に注目してきたが、中西選手本人は「ピークや限界を決めるのは本人であって、年齢ではない」という考えのもと、今も記録の更新を目指して、日々、練習を積み重ねているのだという。
「80歳になってからマスターズの大会で自己ベストを更新し続けている人もいますし、自分ももちろんまだまだトップレベルで戦えると思っています。最近は『最後に東京で…』みたいなことを言われたりもするのですが、まだ東京が最後だとも思っていません」と中西選手は笑う。
できないことを年齢のせいにはしたくない。というよりも中西選手の場合は、何かうまくいかないことがあっても、それを何かのせいにするという習慣自体がそもそもなかったらしい。その理由を本人は、子どもの頃、一番近くの友だちの家まで歩いて30分かかるような田舎で育ったため、何をするにも「足りない」状態が標準で、それを工夫して何とかするのが当たり前だったからだと分析する。
「障害についてもまったく同じことが言えて、『障害があるから、できなくてもしょうがない』と言ってしまったら、もうそこですべてが終わってしまいます。そうではなくて、欠損してる部分があるんだったら残った部分でカバーすればいいんです」
それもただカバーするのではなくてフルカバーして記録に挑戦する。世界と戦う。パラリンピックには、そんな超人たちが世界中から集まってくる。「考えようによってはオリンピック以上に人間の可能性を追求した大会だと思う」と中西選手は言う。
「今、私が大分を拠点にしていることも、実はさっきの話と関係していて、『都会じゃないと成功できない』というイメージを持っているような子どもたちに、頑張って工夫すれば大分でもできる…、むしろ大分だからできるんだということを伝えていきたい、そう思っています」と中西選手は続ける。
最後に、パラリンピックが今後さらに注目されるために必要なことは何か聞いてみた。
「パラリンピアン自身が、苦労を乗り越えて頑張る姿を見てもらうのではなくて、自分たちの格好いい瞬間を見てもらいたいという気持ちで臨むことが大事なのかなと思っています。『この選手のパフォーマンスが見たいから会場に足を運ぼう』と思ってもらえるような魅力的な選手が1人でも多く出てくれば、自然と注目されるようになるはずですから」
パラ陸上競技選手
中西麻耶
(なかにし まや)
1985年6月3日生まれ 大分県出身 身長158cm うちのう整形外科所属
北京・ロンドン・リオパラリンピック日本代表。日本記録・アジア記録保持者。
【主な獲得タイトル】※
・アジアパラ競技大会
走幅跳 優勝(2018年)
・世界パラ陸上ロンドン
走幅跳 3位(2017年)
・日本パラ陸上競技選手権大会
走幅跳 優勝(2016年)
・リオデジャネイロパラリンピック
走幅跳 4位入賞(2016年)
【自己ベスト記録】※
・100m 13秒84(2009年)
・200m 28秒52(日本記録・2008年)
・走幅跳 5m51(日本記録・2016年)
※2019年8月現在