Advance Sports & Rehabilitationアスリートの明日へ踏み出すチカラと、
それを支えるチカラ。
幾つもの常識を覆してきた日本屈指のハードラーの目に
女性アスリートのキャリア問題はどう映っているのか。

陸上競技女子100mハードル選手

寺田明日香

東京五輪、陸上競技女子100mハードルで日本勢として21年ぶりに準決勝の舞台に立った寺田明日香選手。
23歳で陸上を一度引退し、結婚出産、そして7人制ラグビーへの挑戦を経て、再び陸上の世界に戻ってきた多彩な経歴を持つハードラーだ。
これまでずっと道なき道を切り拓いてきた寺田選手に、女性アスリート特有の悩みや、身体づくりについて話を聞いた。

寺田明日香
写真=大野勲男・奥富義昭 インタビュー・文=石川遍 2021/11/16

結婚、出産を経て、遂に憧れの舞台へ

準決勝のスタート直前。思い描いていた景色とは違う、観客のいないスタジアム。しかし五輪マークが目に止まると、寺田選手は自分が今、憧れだった舞台に立っていることを実感したという。
「そうしたら急に、家族やスタッフの顔がポコポコと頭に浮かんできたので驚きました。こんなことは初めての経験で『今から走るから出てこないでー』って笑いながらも、ウルっときました。やっぱりオリンピックは特別な場所でしたね」 残念ながら、決勝進出は叶わなかったが、世界トップレベルの選手たち相手に、最後まで懸命に食らいついていく姿は、多くの日本人の記憶に刻まれたに違いない。
そんな寺田選手が陸上競技と出会ったのは小学校4年生のとき。高校で本格的にハードルをはじめると、瞬く間に頭角を現し、インターハイ三連覇、日本選手権三連覇と、他の追随を許さない圧倒的な強さを誇った。しかしその後、ケガや摂食障害などに悩まされ、ロンドン五輪への出場を逃した寺田選手は、23歳という若さで陸上競技から引退し、翌年には結婚と出産を経験した。
日本ではまだ、出産を経て、競技復帰する女性アスリートは少数派だ。海外では、医療現場と競技スタッフの連携や、支援プログラムがすでに確立されているところも多く、その差は歴然としている。寺田選手によれば、日本では数少ない専門医の情報などもまだあまり共有されているとはいえないそうだ。JISS(国立スポーツ科学センター)もサポートはしているが、いまだにトップの選手が一般の産婦人科へ通って、「妊婦さんなんだから動かないで」と言われ、競技継続を断念するケースも珍しくないらしい。
「ロールモデルがほとんどないのが現状。自分もそうでしたが、アスリートとしてはやったことがないこと、どうなるかわからないことはやっぱり怖い。そういう意味では私の選択も一つの事例として、何かの参考になれば嬉しいです。例えば、出産後に子どもを預ける環境がなくて困ったというのもママアスリートあるあるの一つ。シッターや託児所などの環境整備についても、今後、早急に整備が進んでいくことを期待しています」

過程の大切さに気づけた二度目の陸上競技人生

ところで、寺田選手がよく多彩な経歴の持ち主と言われるのは、ただ出産後に競技復帰をしたからではない。それが7人制ラグビーへの競技転向でもあったからだ。ラグビーといえば、激しく身体がぶつかり合うコンタクトスポーツ。まずは身体を大きくする必要があり、そのための食事やウェイトトレーニングの方法など、陸上選手のときにはあまり意識してこなかったことをいろいろと考える機会になったという。
「ラグビーをはじめるまでは、いつもどうやって前に進むかだけを考えながら生きてきたので、止まったり、サイドに動いたり、後ろに逃げたりといった動きから学ぶことも多かったです。あのときラグビーを経験したおかげで、動きの引き出しが増え、身体の動きをかなりコントロールできるようにもなりました」
競技復帰後、すぐに日本代表のトライアウトにも合格し、ラグビー選手として再びオリンピック出場を目指した寺田選手だったが、その半年後に試合で右足首を骨折。再び人生の分岐点に直面した。「またオリンピックの夢が絶たれ、改めて、自分が今、本当にやりたいことは何だろうって考えたときに、一番、しっくりきたのは、もう一度、陸上の世界に戻るという選択肢でした」
そして迎えた二度目の陸上人生。以前とは、競技への向き合い方が大きく変わったという。一度目のときは、オリンピックに出られなければ意味がないと思いながら競技に取り組んでいたが、二度目の今回は、オリンピック出場を目指してはいるが、例え、自分が力を出し切ったとて、出場できるかどうかはわからないと考えられるようになったそうだ。「だからこそ、今回は、目指している過程も一つひとつ大事にしようと考えました」
私たちがアスリートを目にするのは主に戦いの舞台であり、記憶に残るのは、結果だ。ただ当たり前のことながら、その舞台に立つまでに、アスリートたちは皆、弛まぬ努力を重ねている。そしてそういった頑張りは、戦いの舞台で良い結果を残せなくても、消えてなくなるわけではない。
「過程で得るものは案外多くて、そんな風に考えるようになってからは、一回一回の練習をしっかりやることを自分に課しました。年齢も若くないので、ケアも前よりしないといけない。とにかく良い身体の状態で練習に取り組むことを意識しました」

基本的なことを毎日きちんと続ける。

この頃に寺田選手は、自ら超音波治療器を購入したという。それまで痛くなったことがないアキレス腱の痛みがとれなくなり、治療器が一台、家にあればいつでも使えて安心と考え、購入に踏み切ったそうだ。
「物理療法機器自体、買うのは初めてだったので、ちょっとドキドキしましたが、その後、超音波治療器とコンビネーション治療ができるハイボルテージ電流治療器も購入して、気づけば二台持ち。そのうち治療院を開けそうだってよく冗談を言っています(笑)」
朝起きてすぐに使うことが多いそうで、いつもは3日に一度くらい。寒くなってくると徐々に回数が増え、冬場はほぼ毎日、超音波で身体を温めてからトレーニングに向かっているそうだ。
「すぐに温まって痛みも軽減されるので、寝ても痛みがとれていなかったときにはとても便利。トレーナーさんに来てもらいにくい時間帯に、自分でケアできるというのも本当に心強いです。もちろん選手村にも持参しました」

どのエピソードからも自立したアスリートであることが伝わってくる寺田選手であるが、若い頃は、自分一人で抱え込みすぎてうまくいかないことも多かったという。一度目の陸上選手時代には、女性アスリートの三主徴と呼ばれる「エネルギー不足」「無月経」「骨粗鬆症」もすべて経験した。
寺田選手がこれらの症状に悩んでいたのは22歳くらいのとき。誰にも言うことができず、自分一人で解決すべき問題だと思い悩んでいたそうだ。「今思えば、それがよくありませんでした。簡単に言えば、コミュニケーション不足の問題。そこをもう少しうまくやれば回避できたことはたくさんあったと思います。なので特に若い女性アスリートを教えるコーチやトレーナーの人たちには、できるだけ選手に寄り添い、一緒に解決する方法を探ってあげてくださいと言いたいですね。ちなみに一番、ダメなのが高圧的な態度で話を無理矢理聞き出そうとすること。私もそうでしたが選手はすぐにシャットアウトしてしまうので気をつけてください」

アスリートには、弱い部分をさらけ出す勇気も必要

意識改革が必要なのは、アスリートの側も同様だ。強くなければいけない、人に頼ってはいけないと思い込んでいる選手は少なくない。ただ上を目指すのであれば、そこからもう一歩踏み込んで、自分の弱い部分をさらけ出し、周囲に受け入れてもらえるよう努めるのが大事だという。寺田選手自身、もともとは弱い部分を見せたくないタイプだったそうだが、そこの姿勢を改めてからは、周囲の反応に対しても、こんな風に思ってもらえるんだ、こんな言葉をかけてもらえるんだと、いろいろ嬉しい発見があったようだ。「今回のオリンピックでも、分かってもらえて嬉しいと思えたことがありました。というのは、いつも親子で私の応援をしてくれているママ友たちから『早く走るためにアスリートがどんなトレーニングをしているかを教えてほしい』と連絡があったんです。何でもハードル競技について調べて、夏休みの自由研究にしたいとのこと。
世の中には結果しか見えないことが結構たくさんあると思いますが、そうした中で、自分の身近な人たちが、いわゆる過程に興味を持ってくれたこと、そして過程の大切さをわかろうとしてくれたことが本当に嬉しかったです」

陸上競技女子100mハードル選手

寺田明日香

(てらだあすか)

1990年1月14日生まれ 北海道札幌市出身。
小学校4年生から陸上競技を始め、
5年時、6年時ともに全国小学生陸上100mで2位。
高校から本格的に100mハードルを始め、インターハイ3連覇。
高校卒業後、初めて出場した日本選手権で同種目史上
最年少で優勝し、以降3連覇を果たす。
2009年には世界陸上に出場、アジア選手権で銀メダルを獲得。
相次ぐケガ・摂食障害等から2013年に現役を引退。
結婚、大学進学、出産を経て、2016年に7人制ラグビーへ
競技転向する形で現役復帰。同年12月のトライアウトに合格し、
2017年1月からは日本代表練習生として活動。
2018年12月にラグビー選手としての引退と陸上競技への復帰を表明。
2019年には12秒97の日本新記録を樹立して10 年ぶりに世界陸上に出場。
2021年には12秒96、12秒87と自身の持つ日本記録を2度更新し、
自身初の五輪となる東京オリンピックに出場。
日本人では同種目21年ぶりとなる準決勝進出を果たした。
※2022年4月現在

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